キャラクター詳細
「和裕茶館」は、璃月人が仕事終わりによく通う良い店だ。
和裕茶館がこれほど繁盛しているのも、オーナーである範二の経営手腕のおかげであろう——彼が招待した茶博士の講談はまさに一流と言える。
また璃月の有名な劇団「雲翰社」が、和裕茶館に所属している影響も大きい。雲翰社の現座長兼大黒柱——看板役者の雲菫が、時折この舞台に立って演じることもある。
食べ物は美味しく、講談師の物語も秀逸、時期を見計らって行けば楽しめること間違いなしだ。しかし、雲菫の歌を聴ける機会だけは滅多にない。
そのため、雲菫のファンはよく和裕茶館に滞在し、雲菫の劇について語ったり、感想を話し合ったりしている。
茶館に足を運ぶ常連客も増え、その十人に九人は雲菫のファンだそうだ。
これには範二もかなりのご満悦らしい。
キャラクターストーリー1
璃月人には、先祖から代々受け継がれる伝統芸能が数多くある。璃月劇もその一つだ。
長い歴史を持つ璃月劇は今日に至るまで受け継がれ、現代の役者たちにも歌われている。しかし、最初とは形が大きく変わってしまっているようだ。
それでも、古い璃月劇に見られる複雑な声楽と抑揚に富んだ曲調は、現代の璃月劇にも受け継がれている。
今の璃月役者は劇団で公演することが多い。その中でも一番名が知られているのが「雲翰社」だ。
「雲翰社」は劇を生業とする一族・雲家によって代々受け継がれ、現座長はいま璃月港でもっとも名を馳せている看板役者——雲菫。
雲菫は、幼い頃からその頭角を現している。初舞台で雲菫が響かせたその甘美で澄んだ歌声と、婉美な姿に観客は心を奪われた。
演じる役が増えていくにつれ、彼女の迫真とした、躍動感ある演技も成熟していったという。
艶やかな令嬢、義理堅い女傑、どのような役も彼女は特徴を捉え、見事に演じ分ける。
さらに特筆すべきなのは、彼女が劇の脚本も手がける点だ。『神女劈観』以外にも、「雲翰社」がここ数年で上演した新作は、その大半が雲菫の書いたものである。
なお、雲菫のファンが彼女の劇を鑑賞したくなった時、まず最初に和裕茶館へ公演時間を聞きに行くそうだ。
キャラクターストーリー2
雲菫は璃月劇を演じる一族の出身である。
彼女の母は祖父の跡を継ぎ、昔は璃月港で名の馳せた看板役者だった。そして、父は脚本家である。
このような家系に生まれた雲菫は、幼い頃から両親の影響を受け、母を真似して璃月劇を口ずさむのが好きだった。
普通、子供の頃の趣味を一生の仕事にするのは難しいことだろう。だが、雲菫は例外だ。
幼い雲菫が抱いていた璃月劇への熱意は、ただの遊び心から来るものではなく、自ら両親に指導を懇願するほどのものであった。
娘の積極的な姿に歓喜した両親は、懇切丁寧に指導したという。そうして、幼い雲菫は芝居を習い始めた。
しかし、璃月劇は細部にまでこだわった劇である。本格的に学ぼうとしても、一朝一夕で出来るものではない。
たとえ、雲菫のように聡い子供であっても、芝居の苦しい修行から逃れることは不可能だ。普通の子供であれば柔軟の痛みや、韻書を暗記する退屈な作業に耐えられないだろう。しかし、幼い雲菫はそれらに耐え、見事にこなしていった。
彼女が一人前になった時、「雲翰社」で雲菫の成長を見守ってきた年配の役者たちは、「これから、璃月港にとんでもない役者が誕生するよ。」と言葉を漏らしたという。
キャラクターストーリー3
「雲翰社」には年配の役者が大勢いる。彼らは雲菫の祖父が座長であった頃から、この劇団の一員だった。
雲菫が祖父から「雲翰社」を継いだ後も、彼らは誠意を尽くし、雲菫が劇団を経営するのを手伝っている。
彼らは心から芸術を愛している。しかし、その愛が深すぎるゆえか、彼らにとって璃月劇以外の音楽——例えばロックなどは異質なものであった。
一方、雲菫はそのように思ってはいない。彼女はロックが持つ絶大な力を気に入っている。さらに、彼女はロックミュージシャンの辛炎とも友人になった。
芝居の稽古中、年配の役者たちは雲菫の指示に喜んで従う。だが日常生活では、若い雲菫のことを孫娘のように思っているようだ。
「よしよし、ワシの言うことをちゃんと聞くんじゃよ。辛いものは喉に悪いから、食べてはならん。肉を食べるのはいいが、食べ過ぎては太ってしまう。気をつけるんじゃぞ。」
「何か食べたい時は、エビをたくさん食べるといい。あの、なんといったか…ロック?なんてものは聞いちゃいかん。大声で叫んだりするようなものが、いいものなわけがない。」
雲菫がロックのライブから帰るたび、彼女は小言を聞かされる。
頑固なお年寄りを説得するのは難しいことだ。そのため、雲菫は小言を聞かなくても済むように、言い訳を考えることにした。
辛炎のライブを聞くのは許されないが、範二の養女「星燕」と一緒に璃月劇の話をするのは問題ないようだ。
お年寄りたちはロックを歌う辛炎を好いてはいないが、範二家の星燕にはいい印象を抱いている。
「星燕という娘は、刺繡も料理もできるそうだ。きっと礼儀正しく優雅な子なんじゃろう。この子と親睦を深めたら雲菫の勉強にもなる。うむ、いいことじゃ。」
雲菫は、これを言い訳の口実に利用している。すでに範二とも相談して口裏を合わせているため、この小さな嘘がバレる心配はない。
キャラクターストーリー4
雲菫に様々な呼び名があるのは知っているだろうか。雲座頭と呼ばれたり、雲先生と呼ばれたり、人によって呼び方が変わるのだ。
彼女が雲座頭と呼ばれるのは、雲菫が「雲翰社」の座長だからである。細かなことはマネージャーが処理しているが、重要なことを決めるのは雲菫だ。そのため、商業界では雲菫を雲座頭と呼ぶ者が多い。
一方、雲先生という呼び名には、ある逸話が隠されている。
雲菫の祖父が「雲翰社」を管理していた頃、劇の愛好家たちは彼を尊敬し、雲先生と呼んでいた。そして、雲菫が劇団を受け継いだ後も、その愛好家たちは彼女の劇をよく観に行った。
ある愛好家が雲菫の役者としての実力を見て、公演後に「今の『雲先生』の芝居も悪くないね。」と言った。
すると、人混みの中から反論の声がすぐに上がった——「若い女性にも、先生と呼ばれる資格があるのか?」と。
その話は雲菫の耳にも入った。彼女は微笑みながらこう話したという。
「人より先に生まれた者であれば、年の功があり、見聞も広いことでしょう。先生と呼ばれるのも当然なことです。」
「しかし見聞の広い者が、必ずしも年配の方というわけではありません。それに、女性では見識を備えることができないのでしょうか?」
「あなたは率直に意見を言うお方だ。それに、若い女性がこのような質問に、真摯に答えてくれた。あなたは先生と呼ぶにふさわしい人だと私は思います。」
その場にいた者たちは感銘を受け、この話をよく人に語る。そしてついには、雲菫本人に会ったことがない者も、彼女のことを雲先生と呼ぶようになったのだ。
キャラクターストーリー5
伝統ある璃月劇でよく題材とされるのが、仙人や岩王帝君に関する物語だ。
『神女劈観』などの劇がそれにあたる。人々は仙人に対して、美しい幻想を抱いており、舞台上で仙人たちがどのように表情を変化させるのかを観て楽しんでいる。そのため、璃月劇の大半を占めるのが、こういった物語だ。
子供の頃、これらの物語が雲菫の心の琴線に触れた。しかし、仙人の物語をすべて演じきった後、彼女の考えは徐々に変わっていった。
他の題材に変えてみたらどうなるのか?例えば…私たちの物語を演じたら…。
俗世の哀歓を描き、人が持つ愛憎を讃える。
このような凡人の物語は璃月劇の主流ではないが、歌われる価値がないというわけではない。
愛執、貪欲、妄念。人間は美しさ、あるいは悲壮な気持ちの中で心を確立し、魂を味わうもの。
雲菫は仙人ではないため、仙人の立場に身を置いて彼らを理解することはできない。しかし、人の様々な感情ならよく知っている。
「それでは、人自身の物語を歌いましょう。私の筆と喉で、人々の心を歌いたいと思います。」
それは、誰にも言ったことのない、雲菫の心に秘めた夢だ。
長命錠
雲家は元々劇を生業としていたわけではない。かつては武器の鍛造に専念していた一族だ。
だが、先祖の一人が槍や棍を造る意欲をなくし、劇に興味を持つようになった。雲菫の代では、もう鉄を打つ人間はこの家にいない。
しかし、先祖はいくつかの物を残してくれた。雲菫が身につけている錠の形をした銅の飾りもその一つだ。
幼い頃、彼女が身のこなしに関する稽古をしていた時、炎天下で一日中立っていなければならないことがよくあった。だが、その酷な環境と疲労感から、彼女は気を失ってしまった。
両親は雲菫を可愛がっているが、基礎的な稽古を疎かにしてはいけないということも理解している。
そこで、この錠を雲菫の服につけることにした。これで雲菫の運勢を縛り、健康に過ごせるよう祈ったのだ。
大きくなっても、雲菫はこの錠を肌身離さず持っている。公演が始まる前、あのつらくも幸せな日々を思い出そうと、彼女はいつも錠を手に取り丁寧に磨く。
その時の雲菫の優しい表情は、まるで芝居を習っていた頃の幼い自分が抱く、真摯な心を撫でているかのように見える。
神の目
雲菫が舞台に立って間もない頃、大小合わせて数十回の公演を通じて、芝居の要領をその聡い頭ですぐに理解した。
雲菫が舞台に上がれば、必ず観客からの喝采を浴びる。しかし、歌えば歌うほど、これは自分が求める劇ではないと彼女は思うようになった。
舞台上で演技する時、対立が激しくなれば高い声を張り上げ、形勢が不利になれば声を低くしてゆっくりと吟じる。
時が経つにつれ、雲菫には劇の登場人物がすべて似通った顔を持つように見えてきた。
旋律を奏で、優雅に舞い、美しい声を響かせれば、『神女劈観』の神女も『連心珠』の漁家の娘も、そこに大きな違いはない。
観客はそれで心が満たされるかもしれないが、雲菫はそれに満足していなかった。歌唱力と綺麗な身のこなしだけで、本当に人の心を動かす物語が演じられるのだろうか?
その壁を乗り越えるきっかけとなったのが、『歩雪』という劇であった。
それは、雪の中のつらい行脚を題材にした一人芝居である。雲菫が初めて『歩雪』を歌った時、劇と同じように空から細雪が降っていた。
雪の中で方向を見失い、途方に暮れた劇中の人物が嘆く。するといつの間にか、劇の中にある風雪が現実の風雪と重なり、雲菫も道に迷う旅人に姿を変えていた。
そう、まさにその感じである。彼女は自分自身であると同時に、これまで演じてきた何千もの人物でもある。
彼女は劇中の人物のように呼吸し、生活する必要があり、彼女の気持ちも劇中の人物の表情によって変わっていく。
この何千という人物が織り成す人生が、心ある世界を作り出していくのだ。これこそが、彼女が語りたい物語。
雲菫はその日、それを悟った後の自分がどうやって舞台を降りたのか覚えていない。ただ、舞台衣装を脱いだ時、袖の中に神の目があったことだけは覚えている。